金門諸島は中国福建省の東南沖にあって、台湾本島からは約1時間の距離にある。小島ながら、中国からの移民によって早期から開発が進められた。清代に入ると人口が増加し、耕地が不足するようになった。さらに19世紀半になると、南洋の植民地経済が発展し、労働需要が高まったため、アジア各地に移民する人たちが急増した。奮闘努力の末、彼らはそれぞれの異郷で富をなし、金門に錦を飾るや、故郷に学校を寄贈し、豪華な洋館を建てた。異国情緒いっぱいの洋館群はこうして金門に出現したのである。
戦後は台湾と中国大陸との間で緊張が高まり、大小の戦役が勃発した。著名な「八二三砲戦」の舞台となったのがこの金門である。以来、金門は最前線基地として神秘のベールに包まれていくことになる。九十年代に入り両岸の対立が緩和し、1992年に金門はようやく戦地管制から解放され、翌年に一般の観光客の受け入れを開始する。長期にわたる閉鎖により、金門には未開発の自然景観が豊かに残り、その歴史的特性から、戦跡観光・離島観光の人気スポットとなる。近年、「台湾観光十大町村」および「台湾十大幸福ツアーコース」の一つに選定されている。
金門とは?
概要:面積約151平方キロ、人口約11万人、亜熱帯海洋性気候に属し、平均気温21℃、七・八月は33℃に達する。一月から三月にかけて10℃前後にまで冷え込む。一年を通じて雨量は少ない。
アクセス:台北松山空港・高雄小港空港から国内線で飛行約一時間。
旅のスタイル:金門は金湖・金沙・金城・金寧・烈嶼(小金門)という五大エリアに分けられる。道路網が単純なので、レンタカー・レンタバイクの利用が便利。一部の民宿やレンタカー業者には空港送迎サービスがある。サイクリングや金門観光バスの利用もお勧めだ。
金門観光バスhttp://sightseeingbus.kinmen.gov.tw/kinmenbus/
金門自転車道http://tour.kinmen.gov.tw/chinese/CP.aspx?sn=502&n=10496
三德レンタルショップ http://www.sande.com.tw/
金湖
瓊林集落
瓊林村は金門島の中心に位置している。当地の蔡氏は古来、学業立志の一族で、明・清二代にわたって多くの高級官僚を輩出した。蔡家の廟は瓊林村の中心にあって、祖先追慕・家族団結の拠り所となっている。外観は三川門・燕尾脊・全瓦筒屋頂という伝統の格式をもち、廟内には家族を表彰する額が掲げられている。正殿の壁には「忠孝」「廉潔」と祖訓。目を引くのは祠の後の壁にはめ込まれている魔よけの風獅爺だ。
Location:金門県金湖鎮瓊林街
陳景蘭洋楼
陳景蘭洋楼は金門島中部に位置し、金門第一の洋館と誉れ高い。インドネシア・シンガポールで成功した陳景蘭が1917年にアモイと金門の匠に委託し四年の歳月をかけて完成した。主たる部分は郷土の子弟の学校に利用され、一部を陳の家人が住まった。料羅湾に面して建つことから、眺望良好。敷地は約25ヘクタールで、金門洋館として最大の規模を誇る。
Add:金門県金湖鎮成功1号
Open:08:30-17:30
Tel:(082)332528 金湖鎮公所
金門陶磁工場
金門は良質の高嶺土を擁するとともに、早期から青磁の釉薬「碗青」を生していた。現在「碗青」の生産は停止しているが、高嶺土はいまも金門において重要な磁器の原料となっている。かつては台湾本島の陶芸基地「鶯歌」でも、こうした金門産の陶土が利用されていたという。金門陶磁工場は1963年に成立した台湾唯一の官窯。高嶺土に加えて、気候や焼窯の技巧に恵まれ、台北故宮博物院の依頼で古代陶磁器のレプリカを生産したこともある。現在は磁器の酒瓶のほか、骨董のレプリカ・陶磁版画・青磁工芸品などを生産している。ギフトショップ・博物館が設置され、工場内の生産過程を見学できる。
Add:金門県金湖鎮漁村14号
Tel:(082)332856
Open:08:00-12:00・13:30-17:00(酒瓶生産過程の見学は午前中)
金沙
獅山砲陣地
山后村の獅山砲陣地は、全坑道式榴砲基地。米国製の八インチ榴砲は「八二三砲戦」後期の戦局に大きな効果を発揮した。金門東北角の五虎山上に設置され、標高103メートルからは金門東北部海域を掌握し、戦術上の価値はきわめて高い。かつては軍事基地が今は観光名所となり、75山砲・155榴砲・8インチ榴砲が展示され、定時に榴砲操作のパフォーマンスが披露される。
Location:金門県金沙鎮山后村陽沙路から山后民俗村方向に3.1キロ
Tel:(082)355697
Open:09:00-17:30
砲術操作:10:00・11:00・13:30・14:30・15:30・16:30
馬山三角堡
かつて「無敵堡」と呼ばれた馬山左側防衛の重要拠点。トーチカは厚い花崗岩からなり、三角形の偉容をほこる。リニューアルされた今、景観台からは海辺の風景が眺望でき、親子が安全に遊べるスペースになっている。基地の中は木柵による迷路がしつらえられてあり、沿路には軍隊での生活ぶりを紹介するパネルが設置されている。当地はまた金門で名高い夕陽の名所である。
Location:金門県金沙鎮光華路二段行き止まり
睿友学校
1934年に当地の士紳陳睿友の子孫の手で創設されたため、その父の名が校名となっている。校庭の敷地は0.2ヘクタール。主建築はバロックの風格を擁する二階建ての洋館。建物正面には国旗・国民党旗がはためき、印度警察・花草・仙鶴といった彫塑が南洋の色彩を添えている。この校舎はこの間さまざまな形に利用され、金門の複雑な歴史を体現している。
Add:金門県金沙鎮碧山1号
山后民俗文化村(山后集落)
「山后集落」は頂堡・中堡・下堡に分かれる。著名な「山后民俗文化村」は中堡の部分を指し、1900年の建造で、金門開放後最初の観光スポットとなった集落といえる。集落には16棟の古民家、一つの祠と一つの学堂が整然と並ぶ。俗に「山后中堡十八間」と呼ばれる。すべて、日本の神戸で財を成した王国珍および王敬祥が一族のために建造したもの。
建築は江西省から建築師を招聘。各戸の配置、室内空間、庭園、閣楼から壁や樑の彫画・装飾に至るまで考究を重ねたものである。敷地は15000平方メートル、25年の歳月をかけて完工した。建築はすべて山を背に海に面し、秩序正しく三列に並んでいる。各民家の部屋からは青空をバックに閩南(福建省)伝統の馬背・山牆・燕尾といった細工が見渡せる。
Add:金門県金沙鎮山后民俗文化村(陽沙路)
Tel:(082)313100
Open:08:00-17:00
海珠堂
私塾として建造された一棟三蓋廊式の閩南(福建省)建築で、堂の前には半月形の風水池と洗硯池が設置されている。集落は木造が主であることから、池は温度調節の効用とともに消防の機能をあわせもっていた。
大夫第
王国珍の姪にあたる王敬川の所有。十八軒の古民家のうち最後に完成したもので、材料から細工に至るまで最高峰を誇る。現在民俗村では「喜慶館」として公開しており、花轎(花嫁の輿)・嬰誕室(分娩室)・大広間・新娘房(新婚夫婦の部屋)といった金門伝統の習俗を紹介している。
王阿婆海蚵麺線・蚵仔煎
山后民俗村の古民家を見学したら、当地の美食に挑戦しよう。海蚵麺線は台湾本島の紅麺線とは異なり、手作りの白麺線(そうめん)を使用している。天日で乾したあと自然の風にさらすのでこしがある。金門三百年の古法に則っとり養殖した牡蠣は小粒ながら身がしまり、臭みがないので、胡椒で簡単に調味できる。蚵仔煎(牡蠣オムレツ)には大量の金門産カキが使用され風味豊か。