路地に沈黙する踏切
彰化県溪湖にミニ鉄道を訪ねる
遮断機が降り、五分車がやってきた
台湾には、通称「五分車」という小さな鉄道が平野部を中心に張り巡らされていったという歴史がある。製糖会社がサトウキビを運ぶことを主目的に敷設したもので、鉄路は日本統治期を中心に伸びていった。
「五分車」は、現在は観光用に再利用されているケースがあり、台湾中部の彰化県溪湖鎮もそのひとつ。製糖工場の跡地を整備した溪湖鉄道文化園区では、「五分車」のミニ鉄道を運行している。貨車もディーゼル機関車も、なにぶん小ぶりなので迫力に欠けるが、出発を告げる汽笛はなかなかのものだ。列車は園区を出るとすぐに大通りを渡っていき、行き交う車やバイクもこのときばかりは遮断機を前におとなしく待っている。
台湾の製糖会社は砂糖を作るだけでやっていくのが難しい時代になっており、経営多角化のオプションとして、レジャー産業にも注力している。溪湖鉄道文化園区のミニ鉄道は、いったんはお役御免になった五分車が、2007年に観光用に復活したものだ。
9月上旬、員林から員林客運のバスで溪湖へ行った。員林駅は2014年11月に高架化され、生まれ変わった駅前広場には、アーティスト・草間彌生のパブリックアート「ハイヒールでボーイフレンドに会いに行く」がある。これを見るだけでも員林訪問は価値があるのだが、この員林駅から員林客運のバスターミナルへは歩いて数分。溪湖行きのバスはそう多くないので注意したい。
員林からはかつて、五分車の路線が鹿港まで伸びており、その途中に溪湖があった。員林からバスで溪湖を目指せば、今はなくなってしまった五分車の路線を代わりにバスでたどることになるのである。
ジャパン・ツーリスト・ビューロー(JTB)の台北支部が発行した『台湾鉄道旅行案内 昭和9年版』には、員林駅の説明に「明治製糖線で溪湖まで35分」とある。員林客運のバスを利用する場合とそう変わらないが、運賃は一等が48銭、三等が24銭だというからこの表示には時代を感じる。
溪湖鉄道文化園区の近くを歩いてみると、レールが敷設された放置されたようになっている場所がみつかることがある。踏切を意味する「平交道」という細長い看板が斜めになっていたり、もう二度と点灯することはないであろう警報ランプが、黒と黄色で塗られた支柱に据え付けられたままになっていたりする。
園区内の売店では、鉄道のイラストが入ったアイスクリームなどを売っている。街歩きほてった体にうれしい冷たさだ。
ミニ列車
園区内の売店で販売しているアイスクリーム
溪湖の街に残る五分車の踏切跡
松田良孝(まつだ よしたか)
1969年、さいたま市生まれ。北海道大学農学部農業経済学科卒。八重山毎日新聞記者などを経て、現在はフリー。石垣島など沖縄県と台湾の関係を中心に取材を続ける。著書の『八重山の台湾人』(南山舎、2004年)は、2012年に『八重山的台湾人』として中国語訳され、行人文化実験室(台北)から出版。共著に『石垣島で台湾を歩く:もうひとつの沖縄ガイド』(沖縄タイムス社、2012年)。2014年には小説『インターフォン』で第40回新沖縄文学賞受賞。